真夏のコインランドリー
先日Tシャツを買った。
味のあるプリントが気に入ってネットで注文し、ワクワクしながら配達されるのを待っていたのだが、いざ届いたら少しだけサイズが大きい。これ以上小さいサイズはないため、なんとか縮める方法はないかとネットで調べた。
すると熱湯につけた後乾燥機にかけると少し縮むという記事を見つけたので早速試してみることにした。
まずは鍋で湯を沸かす。しばらくしてグツグツと音を立て始めたので、そこに新品のTシャツを入れる。あまり鍋が大きくなく、Tシャツが苦しそうだが少しの辛抱である。
その後少し冷まして手で絞った後、乾燥機にかける。もちろん乾燥機は家にないため、コインランドリーへ向かった。
まだしっかり水分を含んだTシャツを持って、太陽がギラギラ照りつけるいかにも真夏らしい天気の中約10分程歩く。汗が滲んできた頃コインランドリーに到着した。
六畳または七畳くらいの狭い空間に幾つかの洗濯機と乾燥機。なぜかノスタルジーを感じる。こんな時感じるノスタルジーはどこから来るのだろう。子供の頃よく使ったわけでもない。ただ何故だかわからないが、その時僕は確かに日本の夏を感じていた。
乾燥機に歩み寄り、その中に丁寧にTシャツを寝かせる。どうせくるくる回るので意味はないのだが。
約1時間分のお金を投入して乾燥をスタートさせた。暑いけど帰るのも面倒なので本を読みながら待機する。
『乾燥が終了しました。』
その音声が聞こえて本の世界から帰ってくる。蓋を開けてTシャツを取り出してみるとなかなかいい感じで縮んでいそうである。
コインランドリーに向かうときは感じなかった心地よい風を感じながら、さっきより軽い足取りで帰宅する。相変わらず太陽はギラギラしていた。汗が滲んだ。
家についてTシャツを着てみると、なかなか良い大きさまで縮んでいた。
素直に嬉しかった。真夏の何気ない1日であった。
際限のないデジタル化
この間ちらっと新聞を見る機会があった。
気になったのはメインの記事ではなく、下部にある広告欄。絵本の広告が載っていた。
「デジタルではなく、手元に残しておきたいと思える絵本です」とかそんな感じのことが書いてあったと思う。
もちろん今や電子書籍は一般化しているし、音楽ならCD、その他の分野でも物体が消えていく傾向にあるのは承知していたつもりだったが、絵本も電子書籍化されているというのは何故か頭になくて驚いた。とうとう絵本もかと思ってしまった。
デジタル化、形をなくす事、これは本当に際限がない。端末も必要とせず、頭の中に直接文字を出現させたり音楽を流したりなんて事も別に想像に易い。遠い未来の話でもなさそうだ。
目の前にコップがある。これを読んでいるあなたも、コップを取ろうとして誤って倒してしまい、中にある冷たい液体を机の上にぶちまけた事があるだろう。脳で思考して浮かんだイメージ通りに体は意外と動かない。イメージと実際の行動の差を全て埋めることは実体がある以上は難しい。
つまりは媒体が間に挟まれば挟まるほど、エネルギーも使うし、変化が生まれてしまう。伝言ゲームなんかもそうだ。100人が伝言ゲームをしたら、最後の人はどれだけお題から離れた言葉を口にするだろう。
デジタル化することは無駄なエネルギー消費をなくし、エラーを極力減らすことにつながる。効率もとっても良いし、画一化はされていくだろうが、所謂「人間らしさ」とか、「個性」とかいうものはそのエラーから生まれてくるものではないか。
恐らく様々なことが画一化される方向に世界は動いていると思うが、それは良いことなのだろうか。どんなにそれが進んだ社会なのだとしても、なんだか寂しい気がしてしまう。
結局僕は人間のエラーを愛している。間違いを犯すことができる間はまだまだ成長ができるってことかもね。
本:長距離走者の孤独
今回は本について書いてみる。
イギリスの作家、アランシリトー作の長距離ランナーの孤独という本である。この本はいつも弾き語りをやっている下北沢ARTISTのコニシさんから借りたものである。
この本に興味を持つきっかけというのがそのコニシさんとの会話であった。僕はThe Jamというバンドが好きなのだが、そのフロントマンであるポールウェラーがこの本が好きで持ち歩いていたらしいという話を聞いたのであった。お店にたまたま置いてあり、ライブが終わった後に借りていつものようにウイスキーで酔ったグラグラした景色の中うちに持ち帰った。
短編集の形を成しているこの本は8つの短編から構成されている。全編を通して漂う空気は決して明るいものではない。戦争の残り香と予感がある、貧しくていつも曇っているかのようなどんよりした空気。みんな生活をすることで精一杯だ。ただ不思議とジメジメしたものはそれほど感じない。それは文章の、多少粗野な言い回し(訳されているが)、そして登場人物の皮肉の効いたさっぱりした行動や思考によるものなのだろう。
人は誰しもが違う感覚を持っていて、100人いれば100通りの気持ちがあり考え方がある。(だからみんな違ってみんないいんだ!とか人間賛歌みたいなことはあまり好かないのだが。)だからどんなに似ていても、どこかが違うもんである。心に響く歌や絵や小説は、その登場人物が、つまりは遡れば製作した本人が、そのたった一つの感性を外に出せたかどうかで素晴らしさは変わってくる。
この本に出てくる登場人物は、皆たった一人の人間である。だから面白いのである。
どの話も結末は明快でなくどこか胸に儚さが残る。ただそこには人間の生活の中にあるやりきれない感情がうまく表現してあって、そんな個人ではどうする事もできないようなフラストレーションをいつも胸に秘めるためにも、ポールウェラーはこの本を持ち歩いていたのかななんて思う。大きなフラストレーションは善くも悪くも莫大なエネルギー源となるのだから。
靴磨きにハマる。
最近靴磨きにハマっている。
革靴を履く事が多いのでずっと始めたいとは思っていたが、とうとう靴磨きセットなるものを買い最近時間がある時に靴を磨いている。
いつも世話になっている靴が綺麗になっていくのはなんとも気持ちが良くて、不思議と気持ちまでスッキリするもんだ。
何にもやる気が起きない時こそ靴磨きをする絶好のタイミングで、靴を磨く事をきっかけに行動のエンジンがブルルンと稼動して、その後の活動が充実したりする。
磨いた靴には太陽の光がピカピカ反射して、外に出て行こうと誘ってくれる。
まだまだ始めたばかりではあるけど、自分の持ち物を自分で手入れする充実感と喜びを知った僕であった。