脳内百景

3ピースロックバンド"The Highways"のギターボーカル、徳永の脳内。

体験は脳みそのシワに刻まれる

 

現在の世の中は、音楽だけでなく、映画等も含めてサブスクリプションが当たり前となりつつある。

システムとしては本当に便利で、さほど高くない定額を払えば観たいもの、聴きたいものを短時間で探し出し、おもしろくなければすぐに切り上げることができる。

僕たちが使える時間は限られていて(生きている時間には限りがあるので)、その限られた時間を有効に使うという意味では非常に意義があるといえる。しかし、その中で得るものもあれば失うものもある。

 

 

最近レコードプレーヤーを買い換えたため、レコードを聴く機会が自然と増えた。

僕はそれほど沢山コレクションをしているわけではないが、レコードを聴くのが好きだ。

 

レコードが並べられている棚から今聴きたい一枚を探し出し、バンドやアーティストの個性が打ち出された大きなジャケットの中から、電灯が反射した黒光りする円盤を取り出し、ターンテーブルの上に乗せて針を落とす。この間にサブスクでいったいどれだけの音源を探しだし、聴いては切り上げてを繰り返すことができるのだろう。

しかし聴くまでに時間がかかるからと言って、果たして時間を無駄にしていると言えるのだろうか。僕にはそうは思えないのだ。

 

体験をすると記憶に残る。その時間を使った体験は、自分だけの経験となって、脳みそのシワに刻まれる。

レコードを聴くためにする体験は、数多の人がしている音楽を聴くという経験を、この世で自分だけしかしていないかけがえのない、ドラマチックな経験に引き上げてしまう力があるのかもしれない。

 

少したいそうな言い方をしたが、これは音楽を聴く事だけではなく、他の様々なことにおいても同様に考える事ができるだろう。

テレビの旅行番組で見た世界の絶景より、実際に行った近所のスーパーで今夜の晩ご飯を選んだという体験のほうが、後の人生にとって余程有益かもしれない。

 

 

ただここまで書いておいてなんだが、僕はサブスクを否定しているわけではない。実際に便利だし、自分もよく使っているのだから。

やはり大事なのは、選択肢の中から自分に適した方法を良い塩梅で選びとる事なのだと思う。

 

 

 

一見無駄に見えるなんでもない体験は、後の自分の立派な礎の一部になるかもしれない。

だから無駄でどうでもいい体験は積極的にやるべきだ。いや、他人から見たらどう考えても無駄な事でも、自分にとって必要ならやるべきだと言った方がいいのだろうか。しかし、なんてこと言ってるから時間がいくらあっても足りない。

無駄な事こそ謳歌したい、今日この頃なのだ。