脳内百景

3ピースロックバンド"The Highways"のギターボーカル、徳永の脳内。

映画:JOKER

ジョーカーをみた。
久々に鑑賞中に身体がこわばる映画だった。
非常に個人的な、社会、他人への憎しみが社会情勢とうまく(逆に言えば不幸にも)噛み合った結果生まれた物語だ。

 

個人的な社会や他人への憎しみは、遺憾無く爆発されたまま物語は終わる。ただ僕はそれに何か気持ちの悪いもの、賞賛できない気持ちを抱えた。

なぜか考えてみると、主人公アーサーの残虐な行動の動機が、行き場のない、個人的な不幸から発生されたもの、つまり非常に利己的であり、その行動が最後まで裁かれなかったからかもしれない。殺された人は何の罪もない、結局は1人の人間の究極的エゴにより殺された。大衆はその行動を理由に時勢に沿って騒ぎ立てただけだ。アーサーに何か大きな目的があったわけではない。非常に冷たい言い方をすれば、アーサーは制御の利かない、客観性を失った、それこそただ狂っているだけ‬のかわいそうな人間にすぎない。

 

ただひとつ忘れてはいけないのが、舞台はゴッサムシティであり、ジョーカーはバットマンに出てくる架空の人物であるという点だ。
僕はバットマンをあまり知らない。ついこの映画を現実的に見すぎていた。
これはジョーカーというスーパーヴィランが生まれる経緯を描いた物語であり、それを忘れてはならない。

 

確かにマーベルやDC原作の他の映画と比べると(沢山見ているわけではないが)、非常に現実みがあり、コミック原作映画の範疇は超えていると思うが、あくまで架空の人物、ジョーカーの話である事は心に留めておくべきだ。

この事を忘れないようにすれば、アーサーが最後まで裁かれる描写がない事への違和感にある程度納得できる気はする。

 

映画全体の雰囲気が暗く、息をつかせない。登場する車や街の風景などはカッコよく、好きだった。役者の演技も当然素晴らしい。

そう、冷静にみればこの映画はエンターテイメント作品であり、自分と重ね合わせすぎる事は避けるべきだ。

誰もがジョーカーになりうる?ありえない。それこそ妄想と現実の境目を見失っているのでは?

 

映画は現実ではない事は誰もが知っているはずだ。