脳内百景

3ピースロックバンド"The Highways"のギターボーカル、徳永の脳内。

日常短編シリーズ:その本を読みたい

これはフィクションであり、ノンフィクションの話でもある。

 

 

その本を読みきりたかった。

深夜1時を過ぎてバイトを終え、帰路に就く。1冊の本を読みかけていた。バイトの休憩中にも読んでいたが読み切れず、あと3分の1くらいは残っている。明日は忙しいし、読む時間はない。朝も早いので寝るまでの時間は限られている。

 

バイト先を出ると人の気配はほぼ無いに等しい。線路沿いにある店だが終電の時間を過ぎているし、駅からはなんの音もしない。静寂の中からはもう既に虫の声が聞こえる。僕はとりあえず本を取り出し、歩きながら読むことにした。読みたい衝動に身を任せた。

 

とはいえ夜道は暗い。自然光では文字を読み取ることはできない。本の少し黄ばんだページを照らしてくれるのは、次々と現れる電灯の明かりだ。

数メートル歩くと本のページは照らされ数行読める。次の瞬間少しずつ明かりは暗闇に飲み込まれていって、ページは暗くなる。それを繰り返す。効率が悪すぎるが、本を読みたい衝動がそうさせる。

本当にやりたいことがあると多少環境が悪くとも、人はなんとかそれを遂行しようとするみたいだ。

 

途中でコンビニに寄ってビールを買う。一杯ひっかけてから寝たいからだ。

 

たまに駐車スペースの看板なんかがあって、電灯が与えてくれる明かりのペースを崩す。照らされる時間が増えて、少しだけ読める行が増える。結局家に帰り着くまでそんなことをやっていたが読みきれるはずもなかった。酒を飲みながら読むのはなんとなく嫌だったが、飲んでみたら別に大したことはなかった。

 

結局2時間くらいかけて残ったページを読み終えた。その本を読みきった。真剣に考えこんでしまうタイプの内容だったので、なんだか空虚な気持ちが残ってしまった。なんだかすっと眠りに落ちたくない。もうかなり遅い時間だというのに目が冴えて天井と壁のつなぎ目をみつめる。

早く寝たほうが良い。明日も朝早く目を覚まさなければならない。自分の心と話をするのはまた後日にしよう。

[曲解説]2ndシングル『This is fun?』

先日、8月11日に下北沢LIVEHOLICにてレコ発ライブ、『This is fun!!』を開催した。

関わって頂いた全ての人に改めて感謝を述べたい。

 

さて、今回はシングルに収録した3曲について話してみたいと思う。

本来僕は曲について語ることは野暮だと考えている。音楽というのは想像の余地を残せる事も魅力のひとつだ。全て説明するとたちまちつまらなくなったり、そもそも説明できない事もあったりする。

だが今回はあえて説明してみたい。既に『This is fun?』を聴いたことがある人も、そしてない人もこれを読むことで、改めて興味を持ってもらえると嬉しい。

 

1曲目 『This is fun?』

言わずもがな表題曲。サビのメロディが最初に浮かんできて、他を後から肉付けした。もちろん例外もあるが頭から作っていく事が多いので珍しい順番でつくった曲と言えるかもしれない。

タイトルは"?"がついているが、これは問いかけだ。それは本当に楽しいのか?と聞いている。

 

みんなものの良し悪しをどうやって判断しているのだろう。これが好きなのか嫌いなのか何を基準に決めているのだろう。

自分で選択したと思っていも実は環境や世間の雰囲気に流されたり惑わされたりしている事は多々ある気がする。(嘘つけ!君の心は本当にそう感じているのか?なんて思う事はよくある。)

僕はそういう状況によって隠れてしまった自分の本当の気持ちをないがしろにして欲しくなくてこの歌を書いたのだ。皮肉も込めて。

各々が違う感覚を持っている。そのひとつだけの感覚を大事にして欲しい。そんな気持ちがこもった歌なのだ。

 

 

2曲目『僕にはわかる』

僕は1人で弾き語りも月一回くらいのペースでやっているが、その時ブルースをカバーする機会があり、それがきっかけでインスピレーションが湧いてできた曲だ。

 

歌詞を書いている時、『僕にはわかる』なんて詞は非常に傲慢だと思った。

なぜなら僕自身が「君の言ってる事はよくわかる」、とか適当な事を言う奴を信用していないからだ。(もちろん信頼できる人の真剣な言葉の場合は何より力になる。)

そんなに簡単に人の気持ちはわからない。どんなに近しくてもわからない事はある。

 

ただそんな気持ちの中、この歌詞を書く事を後押しした曲がある。 The Smithsの「ASK」という曲だった。

 

 

この曲は簡単に言えば応援歌である。"もし君にやりたい事があるなら僕に聞いてみなよ、ダメっていうわけないだろ" 和訳すればこんな歌詞があり、これはあまりにもストレートな応援だ。まるで君のことをわかっていると言ってくれているようだ。

僕はモリッシーが傲慢だなんて思わなかった。元気がでた。

そして『僕にはわかる』を書いても良いんだ、と確信したのだった。

 

 

3曲目『コーヒーの香り』

 

3曲のうちで最も古い曲だ。たぶんもう完成してから5年は経っている。

この曲は生活と人生の戦場のせめぎ合いの歌だ。飛び込む事への不安と、普通の生活を失う事への恐怖、だけど挑戦したいという勇猛な気持ち。

このコーヒーの香りという言葉は生活そのものを表している。どんなに激しい場所にいても生活は必ずするものであって、ないがしろにしてはいけない、大事な事なんだと言いたかったのだと思う。

結局人をつくるのは生活なのだから。

 

 

僕は日頃からコーヒーが大好きでよく飲んでいる。自分にとってコーヒーは生活を表す上でぴったりの言葉だった。

是非この曲を流すときはカップ一杯のコーヒーを片手にゆっくりとした気持ちで耳を傾けて欲しい。

 

 

さて、野暮だと言いながら長々と書いてしまった。この文章によってThe Highwaysの歌に少しでも興味をもってもらえれば本望だ。

是非ともライブにも足を運んでもらいたい。

 

『This is fun?』MV→https://m.youtube.com/watch?v=Mh9xzWk4W7k

夏がやって来た

梅雨が終わり、夏がやって来た。

 

 

夏という季節は好きだ。あまりにも強い太陽の光は時に体力を奪うこともあるが、基本的には好きだ。

なぜなら夏は様々なパワーに溢れているからだ。

僕たちの心は案外天気や気候に左右されている。雨の時は憂鬱になったり、晴れていたら気持ちも晴れたり。気温が低ければ心も冷めたり、高ければ心もエネルギーを持ったりする。それぞれの季節に良さはあるが、夏の良さはこのパワーに溢れていることに尽きる。

 木々の葉は青々として、虫たちは元気にはしゃぎ回る。人間も確かにエネルギーを持って出かけたり、遊んだり、仕事をしたりする。

 

 

いつも夏が来ると夏らしいことをしたいと思う。この夏という爽やかで元気な季節を目一杯味わいたいからだ。

僕は以前も書いたことがあるかもしれないが、それぞれの季節でその季節らしい楽しみ方を常にしたいと考えている。夏は特にその気持ちが強く表れるかもしれない。

 

では夏らしいこととはなんだろう。海へ行く、夏祭りへ行く。花火を見る、バーベキューをする。頭には華々しく、甘酸っぱく、非常に水質の良い川の水のように清らかな想像が駆け巡る。

 

 

夏はやることが沢山あるようだ。皆さんも面倒と言わず外に出て、最高の夏を過ごしてはいかがか。

まあ部屋でクーラーをガンガン効かして、アイスを食べて昼寝をする、なんていうのも最高の楽しみ方だとは思うが。

日常短編シリーズ:なんでもない日

これはフィクションであり、ノンフィクションの話でもある。

 

ハッと目が覚めた。昨日遅くまで酒を呑んでいたため、からだが非常に重い気がする。

部屋の中はカーテンの隙間から漏れる光と、透けてみえる微かな光によって真っ暗ではない。

今日はバイトがあるのに確実に二度寝してしまった。早く鼓動する心臓に揺れる体から手を伸ばし、急いでスマホの画面を見る。

8時7分。まだ間に合う。遅刻は免れた。少し安堵するが、余り時間は無いので重い体を思い切って立ち上がらせる。

トイレにいって小便をする。昨日の酒のせいで小便からアルコールの臭いがする。

洗面所に行く。鏡を見ると明らかに顔が疲れていて、黒いシャドーを塗ったみたいに目の下にクマができている。水を出して顔を洗う。タオルで顔を拭く。

もう一度顔を見たらそこまでクマは濃くない気がした。人間の目は信用ならない。

 

6畳一間の部屋に戻って服を着替える。昨日も履いたジーパンを履く。少し湿っていて、昨日は雨が降っていた事を思い出した。履いた瞬間は不快だったけど、まあすぐに乾くだろう。

いつも持っていく肩掛けのカバンに財布とスマホとイヤホンが入っているのを確かめて玄関のドアを開ける。外に出ると太陽の強い光が目にしみる。目が慣れるまでは眩しい。もう何度繰り返し通ったかわからない道を歩いて、少し広い道まで出て、バス停でバスを待つ。

僕の前には背の高い女性が1人。髪は長めで薄く茶色に染まっている。べっ甲みたいなイヤリングかピアスをしている。

後は興味がなくなってきちんと覚えていない。

バスが来て乗り込む。Suicaを押し当ててピピッとなったらバスの奥まで歩いて行く。座れたら良かったが、もう席が埋まっているため立って最寄駅につくまで揺られる。

そういえば今日はバイトは昼過ぎまでで、夜は呑み会がある事を思い出す。

また呑む。お酒は好きなのだ。バイトが短いだけでも十分心は晴れやかになる。

久々に会う同級生と呑むのだ。人と会うのが本当に億劫な日もあるが、今日はそんな気持ちはない。気温はかなり高く、ビールはおいしいと思う。

どんな話をするのかなんて考えない。なんとなくみんなが元気そうならいいと考える。

扉の前に立っていたので、途中で降りてゆく人を右に左に避けてバスが到着するのを待つ。

 

バスの扉が開く。歩いてバイト先に向かう。

またいつもと同じ様な日かもしれない。未来の今まで見た事ない日を待つために、創るために、一日をまた積み重ねてゆく。

言葉で書けばそれらしいが、ただゆっくり命が坂道を転げて行っているだけの事だ。

頭の中がまた別の思考に切り替わる。1秒後の私は何を考えているのだろう。

ノスタルジーの正体は?

早すぎる夏が到来した、と言って異論を唱える人はいないだろう。梅雨入りも発表され、季節は次から次へと移り変わっていく。

 

最近刑事物語という映画を観た。武田鉄矢主演で1982年に公開された。5まであるシリーズものだが、今回は1だけ視聴。感想を述べようと思えば様々あるのだが、今回はこれが主題ではないので詳しい感想はまたいつか。

僕が今回話したい事はノスタルジーについてだ。

 

僕は変な話かもしれないが、人間の飾り気のない地に足のついた生活というのが好きだ。例えSF作品でも実写でもアニメでもその世界に住む人間(生き物)の生活が丁寧に描写されており、それが丁寧なだけでなく、存在しているリアルが感じられる場合、その作品に対してはかなり好感をもつ。

刑事物語は嘘じゃないものが存在する(単に現実的という意味ではない)魅力があり、観ていて暖かく、切ない気持ちにもなった。

特に昔ながらの日本、というより昭和の日本というべきか、その風景や人物の描かれ方は素敵だった。しかしここで不思議な感情が湧き上がった事を説明せねばならない。僕はその映像を観て、ノスタルジーのようなのものを感じたのだ。

僕は平成生まれだ。昭和を体験していないのになぜノスタルジーを感じるのだろう。

 

一つの可能性は自分が子供の頃からテレビや雑誌などで上記のような風景が、元から「懐かしいもの」として紹介されていたから、というものである。

つまり、自分が子供の頃に実体験したこと(誰かと遊んだこと、出かけたこと)を思い出す懐かしさではなく、懐かしいものとして紹介されていた昭和を子供の頃から見てきたから、大人になった今その映像自体が懐かしいものとして記憶されているからではないか、というものだ。

なんだか非常に面倒な文章だ。書いている自分も嫌になってくる。

しかし一つ言えることは昭和が急になくなったわけではないということだ。つまり自分が非常に小さい頃はまだまだ昭和の風景が残っていたはずである。特に都会ほど時の流れが早くない田舎で幼少期を過ごした僕にとって、おかしなことではない気もする。

 

 ただノスタルジーという感情には面白い側面がある。自分が幼少期に体験したことない出来事や、風景にもこの感情を抱くことがあるところだ。

まだ日本ならわかるが、海外の風景に対してノスタルジーに似た感情を抱くことだってある。これは一体どういうことなのだろう。

僕がこの事柄を考える時いつも浮かんでくるのはお祭り(特に所謂夏祭り)だ。

夏祭りに行くと非常に強くノスタルジーを感じる。これは幼少期から思い出が積み重なっている僕にとっては当たり前のことだ。しかしふと思うことは、海外から来た方はどんな気持ちになるのだろう、ということだ。これは予感なのだが、海外の方もノスタルジーに似た感情を抱くような気がする。

もちろん説明すれば色々できそうだ。海外にも似たようにお祭りがあるからとか。しかし果たしてそれは本当に実体験の記憶から生まれた感情なのだろうか?

 

シンクロニシティなんて言葉があったりする。この考え方は非常に面白いが、僕は根拠のないことを盲信するのは嫌いだし、あまりに不明瞭なことが多すぎる。だから不思議な、答えのない感情としてノスタルジーを処理することとする。

 たまには昔を懐かしむこともいいものだと思う。戻らない時間について考えることで、今この瞬間の大事さに気が付いたりするもんだ。

 

 

面倒な、答えのない文章に付き合っていただいた方々、ありがとう。夏祭りに一緒に行ってビールとイカ焼きを奢ってあげたいくらいだよ。

レコーディング

長いゴールデンウィークが終わる。

まあ自分にとっては休みがあるわけでなく、特に関係はなかったと言える。

とはいえ街の空気は休日の気配を孕んでいるし、人々の足取りは穏やかに見えたりする。気温も相まってなんとも生ぬるい感覚はした。この期間で多くの人がリフレッシュして、また世間に活気が溢れ出してゆけば素晴らしいことだと思う。

 

 

 

僕のゴールデンウィークはどうだったかといえばレコーディングについて話さないわけにはいかない。

2日間使い3曲を録音した。まだミックスやマスタリングが残っているため完成とはいかないが、録音するという仕事は終えたのでひと段落だ。

今回は以前マスタリングでお世話になった大ベテランの方(後日発表させて頂きます)に録音、ミックス、マスタリング全てを担当していただいたのだが、もう沢山のことを勉強させていただいた。

何より1番自分が痛感したことというのは、音作り、アレンジの世界の広さだった。

自分ではこれまでだって自由に考えているつもりだった。しかし実はそれはとっても範囲の狭い自由で、視界に収まる世界の外に見えていない自由が広大に広がっていることに気がついたのだ。

もちろん気がついただけでその自由をうまく使いこなすにはこれまでと同じように遅かれ早かれ時間がかかる。ただそれに気が付かせて頂いただけで、自分にとって本当に意味のあるレコーディングになったことに間違いはない。

 そして素晴らしい音源になることも間違いないのだが。

 

どんな音がするのか、どんな音が出るのか、自分で触って体験して初めてわかることばかりだ。(それは音楽に限ったことではない)そんな当たり前のようなことにも改めて気がついた気がした。

誰かの脳みそに爪痕を残すということはただかっこよければいいわけじゃないし、整ってりゃいいわけでもない。もちろんただぐちゃぐちゃにすればいいわけでもない。

自分だけのやり方を見つけて、行動し続けることが誰かの人生に爪痕を残す1番の近道だろうと思う。

 

 

 

 

 

脳みそが七色に輝き、トロピカルなお花が咲いている。そんなカラフルで柔軟な頭の中のイメージでアレンジできたらいいななんて考えた。もちろん合法的に、自力だけで。

(ただし酒は呑む)

いずれ発表ができると思う。それまでお楽しみに。

季節の流れを感じていたい

 

人間は、いや、少なくとも僕は同じような環境や状況が続き過ぎると自分が変化せず、成長していない気がして気分が荒れてくる。それを避けるためには何処かで必ず新しい挑戦を、若しくは新しい要素を生活に取り入れねばならない。別に大きすぎなくてもよい。衣服を買うだけでも、普段行かない場所に行くだけでもよい。ただ、何か新しいものがなければならない。

その点で季節によって気候が変わり、自然が変化して、行事があることは非常に自分にとって適切だし大切だと考えている。

季節を味わう事を愉しみたいと考えている。

 

今なら桜が咲いて、花見に行く事は素晴らしい。桜の花を見る度、綺麗事でなく新しい風が吹いているのを感じる(僕は綺麗事はあまり好きではない)。

街が新しい活気にあふれていて、何かが始まる感じがする。これは暖かい気候のせいだろうか、上京してきたばかりの若人のパワーが街に漏れだすからだろうか、店が用意したセールの力だろうか、どこからか流れてくる希望の空気を鼻から吸い込むからだろうか、深呼吸をしたからだろうか、珈琲を飲んだからだろうか、それとも上記全てが合わさったからだろうか。

全てが合わさったからともいえるし、たった一つの事象によるものだとも言える。ただなんにせよ多くの人がこの季節独特の空気を感じとっているに違いない。

 

夏になれば海に行く。夏休みがある。かんかん照りの日に「暑いですね。」といいながら働いたり、出掛けたりする。

 

秋になれば紅葉を観る。柿を食べる。「寒くなってきましたね。」と挨拶する。どこか切ない気持ちになる。空が高いと感じる。

 

冬になれば一年を振り返る。雪が降れば面倒だと思いながらもウキウキする。初詣に行く。「今年もよろしく!」と挨拶をする。

 

 

世の中上手くできている。季節があるから飽きずになんとか生きられるのかもしれない。

毎日小さな変化を胸に新しい世界を見つめたい。